通称「浅間火山レース」、正式名称を全日本オートバイ耐久ロードレースと呼ばれるレースが1955年に開催され、ホンダはそこに参戦。そして、その4年後の1959年には世界グランプリに初出場した。
北米をはじめ世界で通用する性能とスタイルで、オートバイファンを熱狂させたマッハシリーズ。そのヒストリーを解説する書籍が刊行された。
1950年代から1960年代にかけて、日本の二輪車メーカーは120社以上あったという。その多くのメーカーについて、当時の貴重なカラー図版で詳細を解説した1冊が刊行された。