現地で急接近!プジョー・スポールのWECハイパーカー『9X8』は空力と効率の怪物だった

プジョー9X8の前で、WECプログラムのテクニカル・ディレクター、オリヴィエ・ジャンソニー氏。
  • プジョー9X8の前で、WECプログラムのテクニカル・ディレクター、オリヴィエ・ジャンソニー氏。
  • LMHカテゴリーはホモロゲを取得したら、数年間は車両仕様に手を大幅に加えることができず、「ワイルドカード」と呼ばれるビッグマイナーチェンジが一度だけ許される点でも、市販車そっくりだとジャンソニー氏はいう。
  • ウイングレスでリアエンドが極端に低いシルエットが9X8の特徴だ。
  • グリ・セレニウムと呼ばれるボディカラーは508プジョー・スポール・エンジニアードの外装色と似ているが、メタリックではない。
  • 3枚のLEDリアランプ、そして表面にグルーブをもつリアディフューザーが印象的なリアエンド。
  • ボディ下面はフラットボトムではない。右前輪の背後にU字状の整流版があり、タイヤ側とボディ下面と側面の流れは分割制御される。
  • フロントフェンダーはそのままウイング形状となってサイドミラーを格納している。
  • ブレーキやMGUの冷却を果たしたエアの一部は、上方が大胆に開けられたフェンダーから排出される。

「年内にシェイクダウンにまでこぎ着けることは確実だよ。順当に行けばサーキットは、ル・カステレ(ポール・リカール)かな」

ならば12月にまたフランスに戻って取材に来ると伝えると、プジョー・スポールのWECプログラムにおけるテクニカル・ディレクター、オリヴィエ・ジャンソニーは少し困ったように笑いながら、初日は勘弁してくれと答えた。オミクロン株の蔓延で南仏への渡航はかなわなくなったが今秋、ヴェルサイユ市郊外にあるプジョー・スポールのアトリエにて、プジョーが数か月前に発表していた『9X8』をつぶさに観察してきた。

プジョーが2022年からWEC(世界耐久選手権)およびル・マン24時間に復帰するために開発した、ハイパーカーだ。ウイングレスの独特のシルエットは、コロナ禍とはいえ発表当時からオンラインを通じて大きな注目を集めてきた。

実車のディティール撮りは許されたものの、メカニカル・コンポーネンツおよびシミュレータ・ルームでの開発風景は撮影厳禁、という条件での取材となった。

シトロエン・レーシング時代に蓄積したデータが使えるように

ウイングレスでリアエンドが極端に低いシルエットが9X8の特徴だ。ウイングレスでリアエンドが極端に低いシルエットが9X8の特徴だ。

5人のメカニックと2人のエンジニアが常駐するというエンジンのアトリエでは、まさしく9X8のエンジンが組み立てられている最中だった。試作を含め今のところ3基を組んでいると、責任者のグザヴィエ・シュバリエ氏が説明する。挟角90度の2.6リットル、V6ツインターボがバンクの上にのせられていた。

「耐久レースで使うエンジンだから当然、信頼性が大事。そこでシトロエン・レーシング時代に蓄積したデータが使えるよう、点火やカムのプロファイル、そしてボアは4気筒1.6リットルと同じなんだ。ターボチャージャーは専用誂えのギャレットで、もちろんMGUをフロント側に配置する4輪駆動ハイブリッドだけど、WECは出力特性もレギュレーションで決められていて、パワートレイン自体がリニアな一定特性でなければならないんだ」

プジョー・スポールはそう、2010年代から徐々にシトロエン・レーシングとアトリエを統合してきた。WRCやWTCCをシトロエンが闘い、さらにDSブランドもフォーミュラEに参戦するなど、3ブランドあわせて今やステランティス・グループのモータースポーツ部門は限りなくワンチーム体制だが、クルマを組み上げる各ファクトリー・スペースは今も分けられている。

続いて入ったトランスミッションのアトリエの入り口には、懐かしの「C4 WRC」や「908 BlueHDi」のトランスミッションが置かれていた。責任者のマチュー・デルリュ氏はこう解説する。

「基本的にPSAグループがモータースポーツで使うトランスミッションは開発も製作もここで内製。ケーシングも新しく型から起こして鋳造します。908はディーゼルエンジンでしたからトルクが強大で、それに耐える強度を確保しつつ、あらかじめ仕様に定められた65kgにまで軽く仕上げるのが大変でした。現在は制御ソフトウェアが洗練されて、ギアの幅をとても薄くできるようになったのが、ここ数年の大きな変化でしょうね」

そういって彼はDSのフォーミュラEマシン用のギアを見せてくれた。電気モーターゆえにトルクは大きくてもシフト時の揺動や衝撃が少なく、ほとんど自転車のギアのように薄いまま、高い効率を維持できるという。当然、回生用のリデューサーなどは9X8に転用できる技術であり、電気モーターのおかげで低速ギアがある程度は省けてしまうため、ハイブリッドのギアボックスはとてもコンパクトに仕上がるという。

「とはいえ、トヨタがハイブリッドを得意としているのは世界中で知られていること。我々にとって回生効率をはじめ大きなチャレンジだけど、フォーミュラEからのフィードバックもあるし、面白くなると思うよ」

「DATA RULES!(データがすべて牛耳る!)」

ボディ下面はフラットボトムではない。右前輪の背後にU字状の整流版があり、タイヤ側とボディ下面と側面の流れは分割制御される。ボディ下面はフラットボトムではない。右前輪の背後にU字状の整流版があり、タイヤ側とボディ下面と側面の流れは分割制御される。

もうひとつ訪れたのは、9X8開発を機に新設されたばかりのアトリエだった。録音スタジオのように一面だけガラスで仕切られた部屋には、プログラマとエンジニアが3人、じっとディスプレイ画面と睨み合い、彼らの頭上側方の白い壁には「DATA RULES!(データがすべて牛耳る!)」というレタリングが。その先には908の予備ボディを転用したというシミュレータが置かれていた。シミュレータ解析アトリエだ。すでにドライバー7名も何度もシミュレータで9X8を走らせていると、ここの責任者のブノワ・ビュレは述べる。

「オリヴィエが話したように、年内のシェイクダウンに向けて9X8の制御プログラムを最適化するのが、ここのチームの使命なんだ。無論、いくつか異なるセッティングを用意するけど、すでに仕様書からおこした静的データでは目標に到達している。あとは動的データが得て、さらに開発を加速させるんだ」

実車のランニング・プロトタイプができるより先に、バーチャル上でシミュレータによってあれこれ試し、また走らせることで、開発スピードを大幅にアップさせる手法は、市販車では常識となった。加えて9X8は、デザイナーとエンジニアが最初のステップから議論を重ねた点まで、市販車と同じプロセスを辿ったと、プジョーのWEC活動のテクニカル・ディレクター、オリヴィエ・ジャンソニーは強調する。

2020年の初頭にLMDHのレギュレーションが発表された時、プジョーもLMハイパーカー(LMH)ではなくIMSAと共通化されたLMDHカテゴリーに進むというウワサはあったが、LMHを選ぶことは自明の理だったという。

LMHカテゴリーはホモロゲを取得したら、数年間は車両仕様に手を大幅に加えることができず、「ワイルドカード」と呼ばれるビッグマイナーチェンジが一度だけ許される点でも、市販車そっくりだとジャンソニー氏はいう。LMHカテゴリーはホモロゲを取得したら、数年間は車両仕様に手を大幅に加えることができず、「ワイルドカード」と呼ばれるビッグマイナーチェンジが一度だけ許される点でも、市販車そっくりだとジャンソニー氏はいう。

「正式にLMHプロジェクトが社内で認可されたのは2020年が明けてから。LMHDが発表された時でした。プジョーとしては、空力面とデザイン面において自由度が高い、つまりクルマのシルエットを好きなように造れるLMHカテゴリーでなければ、参加する意味がないんです。プジョー独自のデザイン力、そしてレーシングカーと市販車が同じ手法で造られているという事実を訴求することが、WECプロジェクトの大事な柱ですから」

だからレース・コンストラクター4社のマザー・シャシーを共有することでコストと開発負担は軽くなるが、似通った外観をおもにグラフィックでしか差別化できなくなるであろうLMDHは、プジョー・スポーツにとっては「エボーシュ」と映った。エボーシュとは機械式時計に詳しい人なら周知の通り、ムーブメントのベースに使われる共通キャリバーのことだ。パワートレインの最高出力が500kw(=680ps)で、最低重量が1030kgという数値は、トヨタとグリッケンハウスとバイコレスとプジョーとフェラーリの6社が参戦表明しているLMHと、アキュラにアウディ、BMW、キャデラックとポルシェとアルピーヌが採ったLMDHとの間で、差異はない。

「出力が575kwから500kwに下がって、信頼性とスポーツ性を重視したレギュレーションになっていると思う。パワートレイン関連も非常にコンパクトにできて、安全性と重心の置き方を突き詰めることができたパッケージングになっていると思う。前後重量配分もおおよそ50:50だね。じつはリアウイングは当初のデザインスケッチの段階では付いていたけど、空力を計算して無くても十分にダウンフォースが得られることに気づき、それで省いたんだ」

つまり、リアウイングの無い独特のシルエットは、最初から目指していた訳ではなく、開発の途中で出てきたアイデアだった。とはいえプジョー9X8を走り出す前から、唯一無二の新しいレーシングカーに仕立て上げた、神がかりのディティールといえる。

4連勝を遂げたトヨタと、どんな勝負を繰り広げるか

3枚のLEDリアランプ、そして表面にグルーブをもつリアディフューザーが印象的なリアエンド。3枚のLEDリアランプ、そして表面にグルーブをもつリアディフューザーが印象的なリアエンド。

それにしても、目の前に置かれた9X8は、空気の壁を切り裂く昔ながらのウェッジシェイプとは、ほど遠い。フロントの大きな開口部から始まって、あらゆるところにエアインレットとアウトレットが穿たれたボディは、まるで空気の中を通り抜けるかのような流麗さ、物質的な透明ささえ感じさせる。

コクピットを包むように通されたエアトンネルの内側は、ディンプル効果として空気の流れと抵抗を安定させるため溝が彫られている。正確には彫られているのではなく、3Dプリンタで形成されたものだ。滑らかな曲面にも溝が要る都合上、切削加工より3Dプリンタ成型の方が高効率というわけだ。灯火類もLED化されたことで、とくにリアランプは整流効果をも兼ねている。

プジョーはこれまでにル・マン24時間ではまず90年代、905の時代に2連勝を挙げ、908 BlueHDiの時代にアウディの進撃に楔を打ち込む1勝と、計3勝を挙げている。初参戦から多大な時間がかかったものの、ここ4年で4連勝を遂げたトヨタと、どんな勝負を繰り広げるか。2022年シーズンのWECシリーズが今から楽しみだ。

《南陽一浩》

南陽一浩

南陽一浩|モータージャーナリスト 1971年生まれ、静岡県出身。大学卒業後、出版社勤務を経て、フリーランスのライターに。2001年より渡仏し、パリを拠点に自動車・時計・服飾等の分野で日仏の男性誌や専門誌へ寄稿。現在は活動の場を日本に移し、一般誌から自動車専門誌、ウェブサイトなどで活躍している。

+ 続きを読む

【注目の記事】[PR]

編集部おすすめのニュース

特集