マツダ「MX」のルーツ、『MX-81』をフルレストア…1981年のコンセプトカー

ベルトーネによって設計された大胆なコンセプトカー

2019年に広島のマツダ本社の倉庫でMX-81アリアを発見

1960年の出来事がMX-81アリア誕生の契機に

マツダ MX-81アリア
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マツダ(Mazda)の欧州部門は4月29日、「MX」の名前を最初に付したマツダ車、コンセプトカーのマツダ『MX-81アリア』のフルレストアがイタリアで完成した、と発表した。最新モデルの『MX-30』など、マツダのMXのルーツとなるコンセプトカーだ。

ベルトーネによってデザインされた大胆なコンセプトカー

マツダは1981年の東京モーターショーにおいて、MX-81アリアを発表した。コンパクトなくさび形のクーペは、イタリア・トリノを拠点とするコーチビルダー、ベルトーネによって設計され、大胆なコンセプトカーとして、東京モーターショーの来場者から注目された。

マツダMX-81アリアの開発において、ベルトーネはマツダ『323』(日本名:『ファミリア』に相当)のランニングギアを使用し、未来的なくさび形のハッチバックを構築した。1981年の東京モーターショーでは、ゴールドのボディカラー、大きなキャビン、ポップアップライトが視線を集めた。

凹型の四角いステアリングホイール、テレビ画面のようなコックピット、サイドスイングのフロントシートも、未来を先取りしていた。MX-81アリアはコンセプトカーだったが、その一部テクノロジーは1980年代後半に登場したマツダ車に、ハイマウントストップライトやポップアップヘッドランプという形で実用化されている。

2019年に広島のマツダ本社の倉庫でMX-81アリアを発見

一度展示されると、多くのプロトタイプやコンセプトカーが廃棄される。しかし、MX-81アリアは違っていた。2019年、マツダ『ロードスター』のプログラムマネージャー兼ロータリーエンジン開発者の山本修弘氏は、広島のマツダ本社の倉庫でMX-81アリアを発見する。

これをきっかけに、MX-81アリアをレストアするという動きが生まれ、MX-81アリアはマツダのイタリア部門に輸送された。その後、トリノのスーパースタイルによってレストア作業が進められた。フルレストアの完了後は、1981年の公式写真と同じように、ミラノ大聖堂の前で、MX-81アリアの撮影が行われた。

1960年の出来事がMX-81アリア誕生の契機に

MX-81アリアで実現したマツダとイタリアのデザインとのつながりは、1981年の東京モーターショーのさらに20年前に始まった。のちにジョルジェット・ジウジアーロ氏とともに、「イタルデザイン」を立ち上げる宮川秀之氏は1960年、トリノ在住時にトリノモーターショーを訪れ、当時のベルトーネのデザイン責任者、ジョルジェット・ジウジアーロと出会う。彼はまた、将来の妻となるイタリア人翻訳家、マリサ・バッサーノにも出会った。宮川氏は1961年、マリサの広島留学中に、マツダ(当時の東洋工業)の松田恒次会長と会い、日本の自動車産業におけるデザインの重要性について話し合ったという。

トリノに戻ると、宮川氏とマリサは、ベルトーネ、ギア、ピニンファリーナなど、イタリアのデザインスタジオと日本の自動車メーカーとの間の仲介役として働き始めた。これにより、マツダとベルトーネは1960年代のファミリア、『ルーチェ』、1969年の『ルーチェ・ロータリークーペR130』を誕生させた。1981年に発表されたMX-81アリアは、ベルトーネとマツダのパートナーシップの成果となった。

MX-81アリアに続いて、マツダは1983年に『MX-02』、1985年に『MX-03』、1987年に『MX-04』と、MXの名前を付したコンセプトカーを相次いで発表した。その2年後、マツダはMXの名前を冠した欧州で最も有名なモデル、『MX-5』(日本名:初代ロードスターに相当)を発表している。

《森脇稔》

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