フォルクスワーゲンID.Rに適用されたモデル開発と設計思想…アンシス・フォーラム2019

フォルクスワーゲン ID. R(フランクフルトモーターショー2019)
  • フォルクスワーゲン ID. R(フランクフルトモーターショー2019)
  • フォルクスワーゲンモータースポーツのベンジャミン・アーレンホルツ博士(Head of Calculation/Simulation)
  • VWMSの歴史
  • 現在はGRCでビートルが活躍
  • EV関連のレコードを塗り替えるID.R.
  • ADMのホットエンド温度の管理:温度シミュレーション
  • シミュレーションの定番ともいえる流体シミュレーション。ただし、現実世界ほどの精度はまだない
  • ブラケット形状などを最適化

「ANSYS Innovation Forum 2019」にて、フォルクスワーゲンモータースポーツのベンジャミン・アーレンホルツ博士(Head of Caluculation/Simulation)がID.R.開発に適用されたモデル開発について講演を行った。

ID.R.はEVスポーツとして、パイクスピークヒルクライムやニュルブルクリンク、グッドウッドフェスティバル等での最速記録を持つ車両。オープンロードからサーキットまで幅広くEVのポテンシャルを知らしめ、同社のEV技術の高さを示す車両だ。

量産型ではないが、ID.R.も最新のシミュレーション技術をフルに活用したモデル開発のたまものといえる。その設計思想と開発手法の詳細が語られた。ANSYS Innovation Forum自体が、現場エンジニア向けのイベントのため、セッション内容はかなりテクニカルなものだったが、モデル開発のトレンドと、フォルクスワーゲンが新しいパワートレイン、新しい技術を、自社製品にどう取り込んでいるのかの考え方にも触れられた貴重な講演だった。

フォルクスワーゲンのモータースポーツの歴史は1960年代から始まる。F1以前の最初のフォーミュラーレースの車両から始まり、70年代のカップレース、80年代のERC/WRCなどグラベル・タ―マック競技、90年代のF3、2000年代のダカールラリー(ラリーレイド)、2010年代には再びWRCに参戦し、現在は北米のラリークロスにビートルのスペシャルモデルを走らせている。

80年代のWRCでは、プロトタイプながらツインエンジンのゴルフIIを開発(モンスターのツインエンジンカルタスより前)し、その技術は87年のパイクスピークの車両で実践投入された。

しかし、2010年のニュルブルクリンク24時間レースにCNGゴルフ(SPT3)を走らせたように、「近年では、ガソリン・ディーゼルによるパワートレインについてやることがなくなってきた」(アーレンホルツ博士)として、EVなど新しいパワートレインが新規開発がシフトしていく。背景にはディーゼルスキャンダルもあると思われるが、特定レースカテゴリに特化していないID.R.は、まさに新しいパワートレイン(EV)の実験場であり、ベンチマークにもなっている。

ID.R.のレースデビューは2018年6月のパイクスピークだ。フォルクスワーゲンのプロジェクトは前年10月にスタートしている。そのため、開発の絶対条件のひとつが「250日以内に完成させること」(同前)だった。これだけの短期間で設計から製造まで行うには、シミュレーションを使ったモデル開発は不可欠だったとアーレンホルツ博士はいう。

シミュレーション技術は、ハードウェアの設計、プロトタイプの制作、テスト・評価というループを加速してくれる。最先端のモデル開発の現場では、CAEアナリストやオペレーターがシミュレーションを行うだけでなく、設計エンジニアが設計段階のツールにシミュレーションツールを活用し、テスト・評価とフィードバックをプロトタイプや実験なしに実現する。実機でのテスト回数を最小限に抑えることができる。

フォルクスワーゲンモータースポーツの開発現場では、シミュレータ機能が使えるCADシステムが3DプリンタやADM(積層型成形マシン)に直結しており、シミュレーションした設計データをそのまま形にすることができる。

ID.R.の設計・製造ではどのような場面でモデル開発が生かされたのだろうか。それ自体がプロトタイプのようなスペシャルカーなので、かなり広範囲に適用されたという。講演で紹介されたのは3つのユースケースだ。

まず、車両のプラスチック部品の多く、金属部品も3Dプリンタ、ADMで作成する。このときホットエンドと呼ばれる素材フィラメントを絞り出す部分の温度シミュレーションだ。部品に必要な強度、耐熱性能は、成形するときの素材の温度によって変わる。ホットエンドの温度制御を素材ごとに最適にする必要がある。

実際に部品を出力してから性能検査をしていると、部品をいくつも出力しなければならない。事前にシミュレーションすれば、この工程が短縮できる。物理的な試行回数が減る分、最適化を求めたパターンやパラメータ調整も多くできるので、より品質の高い部品を追求することもできる。

次に空力ボディの設計だ。モックやプロトタイプを作らず、3Dモデルに対して空力特性を可視化できる。ただし、「車両全体の空気の流れ(フロー)はとても複雑で、現状の流体シミュレーションですべてを確認することは現実的ではない。部分的な解析には有効だが、精度の問題があり、これで全体を把握できると考えるのは危険だ」(アーレンホルツ博士)という。

空力の3Dシミュレーションは視覚的にわかりやすいので、対外的なプレゼンテーションには効果的だと付け加えた。

最後のユースケースは、EV部品の高耐圧ブラケットの設計の例だ。レースカーの場合、軽量化の要求は市販車・量産車以上に厳しい。ブラケットをはじめ多くの部品は、構造や形状を工夫して、体積を落とし必要最低限の構造で最大の強度、耐性を持たせる必要がある。トポロジーオプティマイズという設計手法の話だが、これを構造シミュレーションによって形を計算する。

適切なパラメータを与えれば、立方体の形状から数分で最適な部品形状を出力してくれる。CADツールとも連携しているので画面上すぐに確認でき、必要ならそのままADMで成形することもできる。

ここで重要なのは、対象の解像度(レゾリューションだ。「解像度を粗くすると出来上がる部品はシンプルな形状となり作りやすいが、重量の最適化とならない。逆に細かくしすぎると、非常に複雑な形状となり成形が困難になる」(アーレンホルツ博士)。生産技術(量産)を考えると、コストの問題もでてくるだろう。

最後に博士はモデル開発のいくつかの課題を指摘した。

「シミュレーション指向開発(モデル開発)は、開発プロセスのスピードアップを実現し、設計や分析以外のエンジニアリング全般に適用されていくだろう。しかし、シミュレーションのパラメータ設定は簡単ではなく、試行錯誤が残っている部分だ。構成部品が多い複雑なアッセンブリは、シミュレーションでは対応しきれない部分がある。コンポーネントとしての物理テストや高度な分析は必要である。また、衝突シミュレーション、流体シミュレーションなどはまだ精度の問題がある。まとめると、シミュレーションは正解を出すものではなく、誤差や間違いを含んだものという前提で、どの結果がいちばん安全で使えるものかを決めるものだ。」

なお、シミュレーションの制約条件やパラメータの設定については、機械学習を利用する研究が進んでいるという。精度や統合的なシミュレーションは今後改善が進むものと思われるが、博士の最後の言葉は、フォルクスワーゲンの新しいテクノロジーに対する考え方、ポリシーを反映しているようで興味深い。

EVのような新しいパワートレイン、モデル開発・シミュレーションのような新しい開発手法を、発展途上だから、未完成だからで否定から入るのではなく、欠点や限界を前提でどう生かすかを考えている。イノベーションはこのようなアプローチがないと生まれない、維持できないのだろう。

《中尾真二》

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