【トップインタビュー】私の自動車ビジネス革命…豊田章男 トヨタ自動車社長

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豊田章男 トヨタ自動車社長
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  • SLIMモニターの前では毎週役員ミーティングが実施されている
  • 豊田章男 トヨタ自動車社長
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  • 総経理(社長)の葛原徹氏
  • 広汽トヨタ本社内に設置されたSLIMの管理ボードを前に説明する広汽トヨタ社長代理の友山茂樹氏

豊田章男トヨタ自動車社長が「トヨタを継承した私の使命」と考えて取り組む一大プロジェクトが存在する。

「拡大路線の中、『売れないものは造らない』という基本を破ったことを反省し、基本に立ち返り、ジャストインタイムを追求していきたい」とリコール問題についての記者会見で語った姿勢がその片鱗であり、生産から販売・流通、アフターサービスまでをICTを駆使したジャスト・イン・タイムでつなぐという壮大なものだ。

自動車ビジネスの革命とも言える、この巨大プロジェクトの全貌を、通信・ITSジャーナリストの神尾寿氏とレスポンス編集部は、中国および日本国内での現場取材と、キーパーソンへのインタビューを実施。加えて膨大な関係資料をもとに、単行本『TOYOTAビジネス革命』(ソフトバンククリエイティブ刊)として本日上梓した。

豊田はなぜこのプロジェクトを始めたのか。そして、彼の眼に、20世紀のトヨタと自動車ビジネスの姿はどのように映っていたのか。この「トップインタビュー」では、本書第1章に収録されている豊田章男への単独インタビューを抜粋し、このプロジェクトが始まった経緯と狙いを探る。

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2009年、自動車業界にとって「百年に一度の不況」と呼ばれる逆風下のただ中で、トヨタ自動車の新たな社長に就任したのが、豊田章男(敬称略)だ。

豊田はトヨタ自動車工業の創業者、豊田喜一郎の孫にあたり、6代目社長で現名誉会長の豊田章一郎の長男として1956年に生まれた。1979年に慶応義塾大法学部を卒業。1982年米マサチューセッツ州バブソンカレッジでMBA(経営学修士)を取得し、米投資銀行を経てトヨタ自動車には1984年に入社している。

豊田はトヨタ自動車入社後、元町工場、経理部、生産調査部勤務を経て1992年から国内営業部門に配属された。1996年には、国内業務部 業務改善支援室長としてTPS(トヨタ生産方式)による販売店の改善施策を導入していった。この過程においてITを用いたアフターサービス事業の「GAZOO」や、自動車に情報を提供するテレマティクスサービス「G-BOOK」などが誕生した。また、2000年に経営陣に加わってからは、中国などアジア地域を担当。SLIMやe-CRBの先行導入の舞台である中国・広州汽車集団との合弁会社「広汽トヨタ」の設立に尽力した。

◆豊田章男が見た「ジャスト・イン・タイム」と「トヨタ」

----:豊田社長は、2009年6月の社長就任会見において、普通車・軽自動車・中古車販売に分け隔てなく言及した上で、「国内市場は、約7500万台の保有台数を生かしたビジネスの拡大を狙う」と宣言されました。自動車メーカー経営者の発言として「新車販売」ではなく「保有台数」に言及する発言は、とてもユニークに感じました。

豊田:社長就任時のスピーチなので印象に残っているのかもしれませんが、じつはそういった発言は過去から度々しています。といいますのも、日本市場を考えますと、クルマのストック(保有台数)は多いのですが、人口減によって今後のフロー(販売台数)は減少していきます。これは地域特性によるもので、例えば中国ではまだまだフローが伸びていて、それに続いてストック型のビジネスも伸びるという状況にあります。成熟した日本市場では、ストック型のビジネスを徹底的に回転させるビジネスモデルを考えていかなければなりません。逆説的にいえば、新車・軽自動車・中古車の販売はいうにおよばず、約7500万台のストックを視野に入れてビジネスを考えてみると、国内の自動車ビジネスはいまだに成長する領域が大きいのです。

このようにトヨタのビジネスは、地域ごと市場ごとに、どうやってお客様と接していくべきかを考えていかなければなりません。ビジネスモデルも地域、市場に合わせて最適化する必要がある。社長就任時のスピーチは、そういった想いを込めています。

----:最新事例であるe-CRBやSLIM、GAZOO、GBOOKなど、豊田社長が関わってきたプロジェクトは、「生産」「流通」「販売」「アフター(販売後)」のビジネス領域を結ぶ壮大なものです。ここでのITの活用と、それによるビジネスの変革は以前から考えられていたものでしょうか。

豊田:最初から大げさなことを考えていたのではありませんよ(笑)。1994年に生産現場から国内営業の地区担当員になったとき、「工場でさまざまなジャスト・イン・タイムの努力を経て作られたクルマが、なぜお客様の手に届く前の販売店で滞留しているのか」という疑問が生じました。トヨタは「ジャスト・イン・タイム」と「自働化」を事業の重要な柱として突きつめています。しかし、これは生産と調達の部分だけに留まり、その先にある販売や流通、アフターサービスまで、全体を通して見る体系ができていませんでした。

この疑問をスタートに、15年前から販売や流通などに存在する課題や問題を解消すべく取り組んできました。しかし、当時から15年先を見据えて取り組んでいたというわけではありません。ジャスト・イン・タイムなどトヨタウェイの基本に忠実にのっとり、目の前にある課題を一つずつ解決していきました。もちろん、それを支えてくれた人たちや販売店の存在があったからこそ、そういった取り組みを積み重ねていけたのです。

----:当時の豊田社長は、その時にどのような問題意識を持たれましたか。

豊田:トヨタでは、「1にお客様、2に販売店、3にメーカーという順番で大切にしなさい」と教えられる。私がトヨタに入社した時にも、この教えを受けたわけです。ですから、生産部門から販売部門に異動した時には、今までより「お客様」に近いところに移るのだから、なお一層、お客様の視点で仕事ができると思っていたわけです。

しかし、実際の販売現場は、教えられたほどお客様に近いとは感じられませんでした。販売店は販売店で自分たちの都合を優先し、メーカーも自らの都合を優先していて、最も大切なお客様を見ていない。当時、私の目には、販売店もメーカーも、お客様不在であるかのように映りました。

そこで、私はジャスト・イン・タイムを調達や製造の場だけでなく、より幅広く解釈して販売や流通にも適用することで、お客様の姿が見えるようになるのではないかと考えました。1にお客様、2に販売店、3にメーカーという理念を、ジャスト・イン・タイムの流れを通じて、具現化することこそが必要だと感じたのです。そうすることでお客様に近づくことができる。それが、このプロジェクトの原点なのです。

----:プロジェクトそのものは最新のテクノロジーが使われていますが、その源流の部分は「トヨタの基本理念に立ち返ること」だったわけですね。

豊田:トヨタでは「現地・現物・現実」という三現主義を掲げています。15年前の現実を見た時に、トヨタが理想とするお客様第一が守られているかというと、そうとは言い切れなかった。問題はたくさんあったので、一つずつ改善活動を開始しました。

あれから多くの取り組みを行ってきましたが、社長に就任した今でも完璧だとは思っていません。さらにお客様に近づいていきたい。これは終わりのない取り組みだと思っています。そして、トヨタのトップである私のライフワークでもあります。

----:ジャスト・イン・タイムの領域を拡大する取り組みも、すべてはお客様第一を実現するためのものであると?

豊田:そもそもジャスト・イン・タイムというのは、常にお客様より半歩先んじるための方法論であり、技術なのです。我々の目の前にあるのは常に「お客様」であるべきで、そこを軸に物事を考えていかなければなりません。

そして、ジャスト・イン・タイムはトヨタにとって哲学であり、憲法でもある。これは私が社長になる前から受け継がれてきたもので、いわば駅伝のたすきのようなものです。ですから、私はジャスト・イン・タイムを普遍的な経営理念としてさらに洗練・進化させて、後世に渡さなければならない。それが継承者の役割です。これまで生産・調達分野という工場内で磨かれてきたジャスト・イン・タイムを販売・流通まで拡大し、それを洗練させてお客様第一の実現を図る。ジャスト・イン・タイムをよりよくするための取り組みは、トヨタを継承した私の使命でもあるのです。

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◆広汽トヨタは21世紀の「ジャスト・イン・タイム」の理想


第1章 トヨタのIT戦略を育んだ新社長・豊田章男の狙い
第2章 世界最先端の自動車ビジネスを展開する中国広汽トヨタ
第3章 かんばん方式を顧客の手元まで拡張する「SLIM」
第4章 顧客とのつながりを強化し利益をもたらす「e-CRB」
第5章 GAZOOからG-BOOK/G-Linkへ。進化するトヨタIT戦略
第6章 レクサスを中心に導入が進む国内の状況
第7章 TOYOTAビジネス革命の意義

《神尾寿》

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