スズキの次期社長に決まった津田紘専務は、主としてエンジン開発に従事してきた技術屋だ。しかし、本社のある浜松一辺倒でなく、1980年からは開発部主査、横浜研究所次長として15年間首都圏に勤務し、学者や官僚などの人脈も幅広い。本人も「この時培った人脈が大きな財産」という。
また、エンジニアとしては1979年に売り出した『アルト』のエンジン開発に携わり、厳しい排ガス規制をクリアしたのが一番の思い出と振り返る。
社長への昇格は22日朝、鈴木修会長から「頼むよ」とひと言。「まさか」と思ったというが、鈴木会長は「社長代行みたいなこともやっていたので、大体分かっていたのでは」と解説する。
就職でスズキを選択したのは、バイク好きだったためで、北大時代の恩師から「中くらいの企業の方が自由にやれてよい」といわれ、それに従っただけと、至って素直。信条は「人に対して常に誠実に当たる姿勢」と言う。モノづくりも同じで「顧客に誠実な商品をつくること」と強調する。
スズキは鈴木会長というカリスマ経営者が今後もけん引するが「役員は大部屋だし、これまでも会長が全てを決めてきたわけではない。生き残りには全社一丸にならねばならない」と、社内の束ね役に徹する考えを示した。
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