●トップの道楽の尻拭いが破綻、業界再編始まる
今にして思えば、これがわが国自動車業界再編劇の幕開けだった。1996年4月、米国フォード・モーターがマツダへの出資比率を24.5%から33.4%に引き上げ、マツダをフォード傘下に収めたことである。これを機にマツダの社長には、フォード副社長のヘンリー・ウォーレスが就任、日本の自動車メーカーに初めて外国人社長が誕生した。
マツダはバブル期に国内市場でのシェアを一気に拡大しようと、国内販売5チャネル体制を敷いた。もっともこれには“異説”がある。開発畑出身で、ロータリーエンジンの開発も手掛けた、大のクルマ好きだった山本健一社長時代、山本氏は次々に新型車の開発を指示。市場に投入予定の新型車が増えすぎ、当時の国内販売2チャネルではさばききれなくなり、販売チャネルの増設になった、というのがそれである。
シェア拡大のための国内販売5チャネル体制でなく、クルマ道楽の経営トップの尻拭いのための国内販売5チャネル体制だった、というわけである。それはともかく、この5チャネル体制がバブル崩壊とともに、マツダの経営を窮地に追い込んだ。
経営危機に陥ったマツダを再建すべく、ウォレス氏はフォード流(米国流)経営手法を導入し、有利子負債の大幅削減など財務体質の強化に取り組んだ。部品の納入については「世界最適調達」を宣言、世界中のサプライヤーから、良質で価格も安く、納期の短い部品を購入し、大胆なコスト削減を実施した。国内の販売5チャネルをマツダ、アンフィニ店など3チャネルに縮小し、増える一方だったモデルを次々に生産中止にした。マツダの肥大主義に大ナタを振ったわけである。
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