【トヨタ GAZOOレーシング】GT500引退の脇阪寿一「僕に求められていることを高い意欲で」

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4日にGT500からの引退を発表した脇阪寿一。
  • 4日にGT500からの引退を発表した脇阪寿一。
  • 14~15年の脇阪はレーシングプロジェクトバンドウでレクサスRC Fをドライブして戦った。
  • 一時の低迷を抜け出し、昨年の最終戦で脇阪(#19)は決勝ファステストラップを記録した。
  • GT500での自身最終勝利となった12年第2戦富士(当時の相棒は石浦宏明)。
  • トヨタのシーズン体制発表会において引退報告をした脇阪寿一。
  • 今季のレクサスGT500参戦ドライバーたち。左最前列の大嶋和也とその横A.カルダレッリが、脇阪が監督を務めるチームルマンで走る。
  • 14~15年とバンドウで脇阪の相棒を務めた関口雄飛。今季も同チームで走る彼に、脇阪は大きな期待をかけている。
  • 今年、脇阪が指揮を執るチームルマンのレクサスRC F(写真は昨季)
SUPER GTで3度のGT500ドライバーズチャンピオンに輝いた脇阪寿一が、4日に開催された「2016 TOYOTA GAZOO Racing プレスカンファレンス」において第一線からの引退を発表。脇阪は「高いモチベーションのまま、僕に求められていることを」と、 今後に向けての抱負を語った。

脇阪寿一(わきさかじゅいち)は1972年7月29日生まれの現在43歳。出身は奈良県で、弟の薫一(しげかず)もレーサーである。カートを経てF3へと進んだ寿一は96年全日本F3チャンピオンとなり、翌年はフォーミュラ・ニッポン(現スーパーフォーミュラ)に昇格。98年途中からは全日本GT選手権(現SUPER GT)のGT500クラスにも参戦を開始し、以降、日本のトップレースシーンを代表するドライバーのひとりとして活躍する(ジョーダン・無限ホンダでのF1テストドライバー経験も有する)。

当初はホンダ陣営のドライバーで、名うてのNSXつかいとして知られた脇阪だが、2001年からトヨタ陣営に移籍。02年にはチームルマンで飯田章と、06年と09年にはトムスでアンドレ・ロッテラー(現WECアウディ陣営の大エース)と組んで、通算3度のGT500ドライバーズタイトルを獲得した。最後の優勝はサード所属時の12年第2戦富士で、GT500のシリーズ戦は通算11勝。これは日本人選手では本山哲、立川祐路、松田次生(以上16勝)、伊藤大輔(12勝)に次ぐ5番目の記録である(いずれも手元計算/15年終了時点)。

GT500からの引退を発表した4日、脇阪はプレスカンファレンス終了後に30分近くの時間を囲み取材に割いた。引退を決めた時期はいつ頃かという問いに対する答えは、「うーん、ちょっとずつ、ちょっとずつ、ですね」。簡単な決断でなかったことはもちろん、そこには“今季も現役で”との思いもかなりの大きさで存在していたことを窺わせた。

「去年のタイ戦(第3戦、6月)が終わった段階では(ドライバーとして)どん底でした。もう、闇しかない状態で、『僕より遅いヤツはいない』というくらいの気持ちでサーキットを出たんです。何もする気力がなかった。ただ、そこから土屋武士たちレーサー仲間や、他の分野のアスリートといった、たくさんの人たちが僕にアドバイスをしてくれたんです。もがきながら上がっていって、最終戦では決勝ファステストラップを刻むこともできた。自分のスピードに対して、また少し自信が持てました」

かつてフォーミュラ・ニッポンで僚友だったこともある土屋からは、具体的にシートポジションのことを指摘されたという。「僕はクルマ(の挙動)を感じることができていない状態だった。なぜかというと、それは僕がシートは基本的に相棒のドライバー任せにしていたからでした。今まではアンドレ(ロッテラー)や石浦(宏明)といった背の高い選手が相棒だったけど、関口(雄飛/14~15年のRPバンドウでのパートナー)は背が高くない」。そこに調整不良というか、無理が生じていたようだ。

そこで関口にも協力してもらってシートポジションを改善、するとシーズン後半には決勝4位、5位という好結果が残るようになり、最終戦ではファステストラップ樹立も果たすまでに脇阪は復調した。

当然、「この先を見たい、またあの陽の当たる場所(表彰台)へ行こうよ、という思いもありました」。しかし、「後輩のこととかも含めたいろいろなシチュエーションのなかで、この今のモチベーションが上がった状態で線を引いて、僕に求められていること、僕が(次に)やりたいことに行こうと」考えての、第一線から引退決断だった。

「SUPER GTは凄く厳しい戦いですから、このまま上がっていける保証なんてありません。そこで現役を続けて僕のモチベーションが大きく下がるようなことになったら、僕に(トヨタやモータースポーツ界から)求められている部分ができなくなってしまうかもしれない」。脇阪の判断は自身の選手としてのそれだけにとどまらない次元にあった。だからこそ、去年のどん底状態とそこからの復調という経験に関してもこういう言い方になる。

「そもそも去年のどん底を味わうもっと前に、普通は戦力外とかになっているわけですよ。トヨタとファンのみなさんに生かされてここまで現役を続けてきた自分だからこそ、あそこを経験することができた。必死でもがいて上がった経験は僕しか知らないことだと思うんです。これは後輩にアドバイスできる貴重な経験なんですよ」

脇阪は明るいキャラクターとファンを大事にする姿勢を若い頃から貫き、トヨタの中心ドライバーとなってからは日本のモータースポーツ界全体の行く末を考えて行動するようになった。もっとこの世界を盛り立てたい、ドライバーの地位や待遇をさらに向上させたい、そのためにも子供たちに憧れてもらえるような世界にしなければならない、との思いを一貫して持ち続けてきた。

「現役生活の晩年、僕がトヨタに期待されていたのはそこ(豊田章男社長の脇阪引退に寄せたメッセージにあった広報部長的役割)だと思うし、章男社長が『今度は広報担当役員にステップアップして活動を』と言ってくださっている。身が引き締まる思いですし、後輩たちのためにもキチッと“結果”を出していきたい。『トヨタさん、こうしましょうよ!』というようなことを、これからはもっとやれる。現役をやりながら、苦しい思いをしながら伝えてきたことを、重圧から解き放たれた僕がやれる。そこに自分自身、期待しています」

脇阪は実績もさることながら、人気の面でもSUPER GTをリードし続ける存在だった。それだけに、「今年で引退します、と言って各サーキットをまわれなかったことだけは残念ですし、各地のお客さんたちには申し訳ないです」。だが、トヨタの新季体制発表会での引退公表という花道的厚遇を得たのは、ファンを愛し、愛された脇阪ならでは。しかしその経験さえも、彼自身は「今後いつか引退を迎える仲間や後輩に対しての道筋づくりというか、実験(的な役割)だと思っています」。どこまでもトヨタ全体、SUPER GT全体、モータースポーツ界全体を考えている脇阪である。

「ファンのみなさんには今後も僕の(様々な)活動を理解していただいて、僕とSUPER GTを応援してほしいですね」。今季、脇阪は古巣であるチームルマンの監督としてGT500クラスを戦う。ファンの目に見えやすいかたちでの脇阪の新境地開拓活動、そのひとつがそれだ。
《遠藤俊幸》

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