立飛ホールディングス、戦後に製造した軽飛行機の保存機を一般公開

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1953年に戦後の第二号機として製造されたR-53。
  • 1953年に戦後の第二号機として製造されたR-53。
  • エンジン積載部分は当時のまま。
  • R-53の操縦席。
  • 主翼部分は劣化が激しく、複製している。
  • R-53のオリジナル主翼。骨格は木材と金属(ジュラルミン)で作られており、そこに布を張った構造となっていた。
  • 1954年製造のR-HM。フランス人の技師が設計し、「空のジープ」と言われたが、操縦の難易度が極めて高く、量産には至らず。
  • プロペラ部分の銘板。エンジンはコンチネンタルモータース製。
  • R-HMの方が状態は良い。

立飛ホールディングスは17日から20日までの間、東京都立川市内の同社施設で保存している軽飛行機『R-53』と『R-HM』を一般公開した。終戦後の1950年代に製造されたもので、保管されていたものを復元している。

同社は戦時中に戦闘機や練習機を製造していた立川飛行機を前身としている。終戦後、日本はGHQの命令で飛行機の製作に関する一切の活動を禁じられたが、1952年4月のサンフランシスコ講和条約の発効によってこれが解除。技術伝承目的に設立されていた新立川航空機(設立当時はタチヒ工業)がGHQによる接収を免れた施設で飛行機製造を行った。

1952年に戦後の国産第一号となる『R-52』を製造。1953年にR-53、1954年にR-HMを製造した。R-52は事故で大破したために現存していないが、R-53とR-HMは同社内で保管されていた。

しかし、機体の劣化は激しく、数年前から外観の復元作業に着手。試行錯誤を繰り返しながら、製造当時とほぼ同じ方法で機体外装の布を張ったという。

《石田真一》

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