2001年のCARTシリーズは、例年にも増してレース統括団体としてのCARTの混迷ぶりが際だった1年だった。組織としての利益を上げる方策を開催地の増加に求める手段に出たため、今シーズンの開催数は前年より2戦増えて22戦までに肥大した。過密スケジュールにもかかわらず、ドライバーは黙々とレースに励む。
運営の歪みは早くもシーズン前に表面化した。開幕戦を前にして、第2戦に組み込まれていたブラジル・リオデジャネイロ戦の中止が発表された。契約金不払いが中止に至った主な理由。また、予測が困難だったとはいえ、初開催の第3戦テキサスでは、急角度のバンク角が走行中のドライバーに与える重力が問題になり、決勝当日に延期が決まった。
半年ほど“延期状態”が続き、シーズン終了間際になってようやく中止が決まった。このため、新興フェルナンデス・レーシング(レイナード/ホンダ)に移籍した中野信治が日本人最高位となる予選5番手を記録していたが、幻に終わることになった。